家族や友人、職場の人、そしてあの人に分かってほしい… と思ったことはありますか?
自分の考えや、やり方は正しいとか、すごく良いから分かってほしいのに
熱く思えば思うほど、相手には通じなかったりします。
以前、とある方のサイトで霊的真理を学ばせてもらっていたのですが
そこで言われていたのは、分かってほしいとか、分かってもらえない苛立ちというのは「依存心」からくるものだそうです。「分かってくれ」という甘えがあるということです。
家族に分かってほしいと強く思っているとします。
自分は「どうか分かってくれ」と思います。すると相手は「それを理解できない私を分かってくれ」というカルマの法則が働き、同じ熱量で抵抗してきます。堂々巡りになってしまいますね。
ではどうしたらよいか?
人は皆、同じ目的で生まれて生きていて、すべては学びです。
その方はいずれ理解するときが来るでしょう。一歩引いて、あたたかく見守っていく。
その”いずれ”が明日かもしれないし、数十年後かもしれないけれど…
周りを変えようとするのではなく、自分を変えてみましょう。
また、自分も理解できない時期には、誰かが温かく見守ってくれていたことでしょう。
だから、今、理解できているのかもしれません。
そうは言っても… 現実でその場面になると、なかなか理性で判断するのは難しいものです。
理解する側になれるように、少しずつ進んでまいりましょう。
まずはあなたに癒しが訪れますように。
『理解されるよりも、理解することができますように。』
(聖フランチェスコの祈りより)